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水面の月 水面の月

第十二回 -「心」という創造主-

清風学園
専務理事・校長
平岡 宏一

 仏教では幸せも不幸もすべては心によると考える。これは、「ちょっと見方を変えれば、不幸な事象も幸福に解釈出来る」といった意味だけではなく、「幸・不幸はすべて心の有り様が呼び寄せるもの」ということだ。
 世界には創造主を想定している宗教と、そうでない宗教がある。創造主を想定する宗教は、幸福も不幸も含め、すべては創造主から与えられたものと考える。例えば、大きな苦難に出会った時、それを「神が与え給うた試練」として受け止めるのである。
 これに対して、創造主を想定しないのが仏教である。仏教では、すべては個人が積む業によって生じ、その結果を受けると考える。同じような苦難に直面しても、仏教では「前世からの業に依って起こったことで、今生においてこの宿業を解消する」と考えるのである。
 では、業はどのようにして積むとするのであろうか。それは、その心掛け、モチベーションによるとする。如何なる業を積むかは、モチベーションで決まると考えるのである。つまり、仏教で大切なのは、結果よりも“動機”なのだ。
 布施波羅蜜を例にとって見よう。布施波羅蜜とは、徹底して布施をすることであるが、もし結果を重視するならば、菩薩の布施波羅蜜行が完成しているにもかかわらず、貧困者がこの世に無くならないのは何故か、という疑問が生じる。
 しかし布施波羅蜜行の完成は、実際に貧困者が無くなることを指すのではなく、「あらゆる執着を断って惜しみなく他者に与える心の完成」をさす。正に心の有り様を問題にしているのだ。
 以前、随喜のお話をしたが、随喜とは他者のなした善行を「素晴らしいこと」と素直に喜ぶだけで、他者がなした善行と同等の徳を瞬時に積むことが出来るということである。逆に他人の不幸を喜ぶと簡単に悪業を積むことになるとも説明したが、これなども実際の行動とは関係なく、自分の心の動き一つで膨大な徳や悪業をなすという良い例である。
 たった一人の相手に対して、その人の善き行いを随喜するだけで、膨大な徳を積むことが出来るなら、慈悲の心で生きとし生けるものが苦しみから逃れるようにと願う時、その人は生きとし生けるものの数、まさに無限の徳を積むということになる。そういう意味で仏教における創造主は、“自分自身の心”と言える。
 創造主である自らの心を上手に統御して、不幸を呼び寄せることなく、幸せを呼び寄せることを習慣化するにはどうしたら良いのだろうか。その答えは“憶念”すること。つまり、怒りや悲しみで心が乱れたら、お釈迦様の教えを思い出し、羅針盤にしてもう一度、自分の心を見直すことである。
 かつて、NHK の番組に出演されたダライラマ法王は、対談者から「あなたは怒ることがあるのか?」と訊かれた際、「私は気が短い方なので、よく立腹しますよ。しかし心の奥は風が吹いていない水面のように一定です。」とお答えになった。この答えがとても気になった私は、インドの亡命チベット寺院ギュメ密教学問寺を訪ねた折に、貫主にこの話をして意見を求めた。貫主は聞くや否や、「それは、立腹することがあっても、すぐに心を元の状態に戻すことが出来るということだろう。我々凡夫は、立腹したら、何度もそれを思い出して怒りを増幅させ、心のバランスを崩す。しかし法王様は立腹しても、すぐに自分の心を照らし見て、すぐに修復するから、心のバランスを崩すことはないということだ。」とおっしゃった。7世紀のインドの高僧シャンティデーヴァは「心という狂象を、仏法を思う大柱につなぎ、逃げないように、あらゆる努力で見張れ。」と説かれているが、貫主のお話からそのことを思い出した。法王様は心を乱すことがあっても、仏陀の教えを思い出して直ぐに心の状態を修復できるのであろう。
 我が国の仏教の祖ともいうべき聖徳太子も、十七条憲法の第二条に「それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん」と述べておられる。現代語訳するならば、「仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。」という意味になる。仏法を学んで心の歪みを克服していくことは、日本に仏教が伝わった時から、すでに示されていた仏教の構造といえる。
 しかし、憶念する、即ち思い出すためには、当然のことながら、仏の教えを知っていなければならない。仏教を勉強して行くことが大切なのだ。この勉強は、単なる知的興味を満足させるだけの知識を得ることを目的をするのでは無い。自分の心の状態を仏教の教えと照らしながら、長い人生の羅針盤としての智慧を身に着ける為の勉強である。
 仏教では三宝への帰依がなによりも重要である。帰依や祈りによって、仏の加持を受けることは間違いが無い。しかしそれだけでは、仏教が欧米などで“心の科学”と言われる所以、他の宗教とは異なる特徴を十分に生かしているとは言えない。
 世界は狭くなり、経文を分かりやすく解説する本は容易に手に入るようになり、日本の高僧も世界の高僧もずっと身近になった。煩悩多き救い難い時代ではあるが、悪いことばかりではない。自分の心と真直ぐに向き合うために、仏教を学ぶ環境は歴史上最も整備されている時代だといえるであろう。一般の人々が僧院に入らずとも仏教を学べる時代、仏教の指導者としての僧侶の役割は益々重要であり、より良き社会の創出の為にも、一層の活躍が期待されるところである。




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