お大師様のことば(九十二)
大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成
若い頃、登山が趣味で近郊の低い山によく出かけたものであった。翌日にひびかない程度の山行は、帰りには明日へのエネルギー源となり、充実した気分で帰宅したものでありました。
一人での山行は、低い山でもしっかりとした道を歩くのが安心です。途中にかつて歩かれたであろう雑草の生い茂った道を見ることがありましたが、歩く人が多ければ多いほど道は確固としたものになっていく道理であります。
お大師さまは、『秘蔵宝鑰』の序文におきまして、
甚だ杳杳たり
道を云い 道を云うに
百種の道あり
と述べております。ここにいう道は、仏道のそれにちがいありませんが、私達が歩む人生の道とも考えることもできましょう。年齢を重ねてきますと、来し方、行く末を思いめぐらすことがありますが、なんとも不安となってくるし、ややもすると歩いてきた人生の道も忘却のなかに、と恐れを抱くことにもなります。目標を定めて力強く生きる人には、どんどん新しい堅固な道が出来てくるにちがいありません。
人を正しい道に歩むように導くのは、仏の教えであります。教えを身につけるのは、仏道であります。しかし、仏道は求める人がいなければ、ふさがってしまうものであり、教えは述べることがなければ廃れてしまうものであります。この言葉は、単純な道理を述べているわけでありますが、悟りを求め、教えを伝えることを目途としている人にとって、この言葉は厳しい。
歩かない道は雑草で見えなくなってしまう道理。それを見極めて精進の道を一歩一歩すすめていかなければなりません。
六大新報 第四四一五号 掲載