諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八十九)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 即身成仏という言葉を訓よみして"身に即して仏と成る"とします。考えてみますと、仏と成ることは自分においてのことでありますから、至極当然といわなければなりません。お大師さまは『即身成仏義』のなかで、即身・成仏としかよんでおりません。即ち、即身と、そして成仏についてとの二段がまえで述べております。まず、即身について六大の体大、四種曼荼羅の相大、三密の用大の三大をもって基底といたします。
 この内、四種曼荼羅と三密については各々典拠となるものは見つけることができますが、六大のみは、おそらく、お大師さまの独創であったようであります。むろん、三大につきましては『大乗起信論』にうものでありますが、それとはまったく相違する形で三大を利用していることがわかります。なかでも、六大について、『即身義』の半分以上をついやして述べております。ここにそれを深く述べる余裕はありませんが、まず『大日経』『金剛頂経』から同じような趣旨の偈文を引用します。その内容は仏教の中心的な課題であります縁起観を述べたもので、六大の定義であります五大と及び識となりにあわせて、いうところの心・身を表したものであり、その背景には、大日如来の真言を配しております。これにより六大とは、如来の身・心であり、私達一人一人の身・心であり、そうして大日如来の身・心でもあるという重層的な縁起観を述べているということができましょう。そして、その一体観を、六大の無礙むげ、四曼の不離ふり、三蜜の加持かじということで、より具体的な大日如来と自身との"即身"観を明らかにしております。これを基本にして、私達は即身成仏ということを具体的に考えていかねばなりません。


六大新報 第四四〇七号 掲載



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