諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八十八)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 私達の日常生活を深く反省しますと、どうやら妄念の命ずるままに、妄念に引きずられ、あたふたと生きている、ということではないでしょうか。
 最近のニュースで報道されているある政治家の不正疑惑についての追及についての答弁は、妄念の上にさらに妄念によってぬりつぶされているようなもので、もはやあるじである本心がまったく見えなくなっているとしか思えません。"第三の目で厳正にチェックしてもらって"という度重なる発言は、もうまったく自己検証ができないことを如実に示しているといえるでしょう。まったく恐ろしく、みにくいかぎりであります。
 浄土教において大切にされております「二河白道」の比喩があります。これは中国浄土教の善導ぜんどう(六一三~六八一)が説かれたものであります。そのあらましは、ある人が西に向って歩いております。その途中に突然として火の河と水の河とが現れます。それぞれの河は百歩ほどにすぎませんが、南北の際限は見ることができず、底なしであります。そして水の河と火の河との間には、一筋の白い道があり、道幅はわずかに四~五寸ほど。東岸から西岸に至るまでの長さは百歩にすぎません。その白い道は水波と火焔とがたえず洗い流し、焼きつくしており、この細い白い道を渡ろうとする人は恐れで一歩も進むことができません。そこにはげましの声が聞こえます。意を決してその人は白い道を渡りきり、西岸の浄土に至ったというのであります。
 本来成仏という白い道は、妄念の水波・火焔によって流され、焼かれております。お大師さまのはげましの大声を背にして私達はあるじである菩提心・仏心・道心を確認しなければなりません。


六大新報 第四四〇四号 掲載



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