諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八十七)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 この文は、天長六年七月十八日、お大師さま五十六歳の折に、三島大夫助成の亡息女の一周忌にあたり、法華経・般若心経を書写し、供養を捧げた願文の一文であります。亡き人の魂にたいし、朝夕に涙を流し、日夜にいたむことは、亡き人に供養とはならないということでしょう。
 私にも経験があります。母親と娘一人の家族に、母親の死が訪れました。寂しさ、悲しみはいかばかりでしょう。葬儀中、娘さんは声をあげて泣き悲しんでおりました。遺骨をいだいて自宅まで同道しました。深い深い悲しみに打ち砕かれた娘さんの心は、いまだ闇のなかでした。やがて納骨の法要があり、母親の遺骨を胸にした娘さんの様子は依然として憔悴しょうすいそのものです。法要後の法話の中で、お大師さまの言葉として、この言葉を娘さんに差し上げました。
 お大師さまは、三島大夫助成というお方に、この言葉によって勇気づけられました。身近な人との別れは、生きる力をそいでしまうものです。しかし、それをテコとして新しい力強い生活を再生することが極めて大切なことであるにちがいありません。
 最近、私達のまわりには、いわれのないおびただしい人びとの  死を、沈痛ちんつうな気持で受け容れざるをえない状況が次々におこっております。その恐れと、悲しみの心をのりこえることは、なかなか容易ではありません。早急な心の復興こそが、亡き人びとへの供養となると受けとりなおし、精進していくよりしようがありません。
 お大師さまは、またこんなことも述べております。
 逝者は烋楽きょうらく(仏の世界をたのしむ)し、とどまる人(のこされた家族)は苦しむ。



六大新報 第四四〇二号 掲載



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