諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八十二)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老


福田 亮成



 お大師さま在世当時の真言宗の拠点は、高雄山神護寺、東寺、そして高野山金剛峰寺であったにちがいありません。今、この三ヶ処のたたずまいを思います。
 東寺は都のそばで、もっぱら教学研究や、対外折衝せっしょうの場に適しております。高野山は最初から修禅の地でありました。そして、神護寺は居住の処でありましょう。
 東寺を中心として、神護寺と高野山とを配してみますと、そこに各々弟子を配し、真言教団の展開・発展を期していたことが明らかであります。
 高野山は、若きお大師さまの修禅のための理想の地でもありましたが、傳教大師最澄がよった比叡山は、山上より都が望見できることに対して、高野山は深山幽谷であり、都からは途絶したところにあります。京都から高野山の距離は、世間と出世間の距離としてなかなかに微妙な意味があるやに思われます。
 その高野山へ都から離れて登ろうとしておりますお大師さまに、さまざまな言葉がなげかけられました。当時を代表する、即ち宗教者であり、中国の新しい知識を充分に身につけ、そしてなによりも文化人であったお大師さまが、都を離れて高野山に登ることに多くの人びとが残念に思ったにちがいありません。
 貴方は、どのような気持で深く険しい深寒の山に入られるのでしょうか。登るにも苦しく、降るのも難しい、そんなところにどうして行くのでしょう。さらに、山中にどのような楽しみがあるのでしょうか。場合によっては飢え死にするかもしれません。このような人びとにたいして強烈な言葉をかえします。
 汝が日は西山に半ば死したる士なり。汝が年は半ば過きてしかばねの起てるがごとし。
と。世俗と一線をかくすお大師さまの立場が鮮明です。



六大新報 第四三八九号 掲載



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