お大師様のことば(八十一)
大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成
最近、社会を騒がせている不正問題についてつくづく考えこんでしまっております。旭化成建材の杭打ちにまつわる偽装問題は、いったいどうしたことでありましょう。砂上の桜閣という言葉がありますが、建物の土台がしっかりしていなければ、やがて傾き、そして崩壊するということは、火を見るよりも明らかであります。こんなことを大企業に働く人間が、やってしまうことの恐ろしさを痛感することは、私だけではありません。小さな誤魔化しが、企業を揺るがす大きな事件に拡大しています。それは、ただ企業の存続のみならず、その建物の中に生活の場を設けた多くの人びとに、大変な恐怖と、これからの生活に深刻な不安をもたらすことになり、それはやがて社会不安をも惹起することになるにちがいありません。ですから、企業のトップの記者会見での謝罪の様子は、トップと実際に施行している人びととつながっていず、実際の施行者が入居する多くの人びとと心がつながっていないという現実が、ありありと見えてくるようです。
とまれ、このような姑息な不正が原因で社会をゆるがす事件へと発展してしまいましたが、その原因は、企業のトップが高い企業道徳をないがしろにするどころか、企業としても、人間としても神聖な理想をかかげることができないことが原因なのかもしれません。いや、日常を生きる私達一人一人の心の中に、あるべき理想をかかげることのできない人は、姑息な不正の世界に何時か、ころがりこんでしまうかもしれません。真実なるものにしたがって行為すれば、利益がはなはだ多く、真実をまげてそれにしたがえば罪報はきわめて重い、というお大師さまの言葉を考えてみるべきでありましょう。
六大新報 第四三八六号 掲載