諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十九)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 大乗仏教の宣言は、“一切衆生悉有仏性”という言葉に尽きてしまいます。それは、生きとし生けるものすべてに仏となるべき可能性を示唆しさしたものでありました。それに、すべての生きとし生けるものすべてを救済してやまない誓願をかかげた菩薩の信仰とあいまって、すべての生きとし生けるものに平等に、成仏ということが解放されたということができましょう。
 お大師さまは、永い時間にわたって修行した結果成仏するということよりは、速疾に、そして即身に成仏することを述べられました。生きとし生けるものに、仏性を、如来蔵にょらいぞうを認めるというより、あげました文章に、“自佛を顕証けんしょうせんがために”とありますように、自身に自佛の存在を告げておられます。実に具体的ではありませんか。即ち、仏が自身の内におわすということでありましょう。よく、成仏の可能性ということがいわれますが、そうではなく、すでに私達には一人一人に自佛(自心佛)がおわすのでありまして、その自佛をあらわし証明する(顕証)ということは三密観によってであるといっております。このことは、『即身成佛義』において充分に了解しうるところでありました。
 次に、“他の衆生のために”、即ち、生きとし生けるもののために、“行願門”、即ち救済のための利他行を行う、といっておりますが、それらは、三密の観にもとづくものでなければなりません。三密の観とは、もっと広く考えるべきではありまして、それは日常生活の場にまで及ぶものでなければなりません。その顕証のために、多くの人びとに種々なる場面、種々なる手段をもって働きかけることでなければなりません。自佛がたちあがってくる、そのことこそが顕証ということではないでしょうか。



六大新報 第四二五五号 掲載



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