諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(六十二)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



 この文は嵯峨天皇に劉希夷りゅうきいの詩文集などと共に飛白の書一巻を付して献上した上表文の一部であります。弘仁二年二月二十七日、お大師さま三十八歳の時でありました。書道については「われ少年の時、数数しばしば古人の遺跡に臨み、後、秘教に入ってふでを握るにいとま なし」とありますから、書道は、少年の時から練習しているようであります。
 ここで問題の飛白体については在唐のみぎり に試みたといっていますが、今、それを見ることができるのは「真言七祖の像の賛」でありましょう。もう一つ『法華経』にもとづく「十如是」があるはずですが、その真蹟を見ることができません。 最近、神田喜一郎先生の「弘法大師の飛白書「十如是」」(『墨林間話』所収一九七七)を読みまして、その事情について知ることができました。それを要約しますと、もともと「潅頂記」と共に「十如是」も高雄の神護寺に所蔵されていましたが、明治十年前後のこと、それが泥棒に盗まれ、そのまま焼き棄てられてしまったというのです。神護寺経といわれる紺紙金泥の幾巻を盗み、その経巻を焼いて、灰の中から金を採るのが目的であったという。問題の「十如是」は町田久成という方が、神護寺の宝物調査に出かけ、それを見て大変に感心し、写真技師によって原寸大に撮影されましたが、その時に「十如是」も焼かれてしまったのです。そして良好な写真のみが残った、というわけであります。そのようなわけで宝物として実物を見ることができなかった、ということであります。
 お大師さまは書道について、少年の頃よりなみなみならず強い関心があったわけで、お大師さまの真蹟を見るとき、その努力のさまを知ることになるでありましょう。



六大新報 第四三三七号 掲載



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