お大師様のことば(五十三)
大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成
『付法伝』の末尾には、問答決疑があり、溺派子と了本師という二人の間に、問答が展開しております。
如来の正法は、仏弟子の迦葉、阿難等が同聞衆としておられたことは、証拠がありますが、秘密仏教は如来滅後八百年の中に竜猛菩薩が南天の鉄塔に入り、金剛薩埵によって授けられたものであって、そこには同聞衆がおられたのであろうか、という質問が投げかけられます。そこで『金剛頂経義訣』から竜猛菩薩と南天竺大菩薩蔵の塔が持ち出されます。その塔の中には、三世の諸仏、諸の大菩薩の普賢、文殊等がはべっておられ、金剛薩埵等の潅頂加持をこうむって、秘密法門を誦持して人間に宣布されたものである、と述べております。しかし、それは金剛智三蔵の口説であって、経論からの証文がないのであるから、信受できない、とねばります。更に鉄塔は狭少であって無辺なる法界が、塔の中にあるわけがない、と。それに対して『華巌経』から、智眼をもって観見するに、毘盧遮那仏の願力は法界に遍く一切国土に常に無上輪を転じている、と。このような難信の事は諸仏の境界であって深法は信をもって入るべきであり、思慮分別をもってはその底に至る事が出来ないものであると結んでおります。
お大師さまのお考えは、大日如来は、唯一の金剛秘密最上仏乗大曼荼羅法教を普遍常恒に演説されているということが前提であります。生身仏の教えは、迦葉より師子にいたって付法が絶えてしまったという。これは『付法蔵因縁伝』巻六の記述を根拠としております。南天の鉄塔説には事塔、理塔の両説がありますが、掲げました文からは理塔説でしょう。しかし、事塔説にはロマンが感じられます。
六大新報 第四三一四号 掲載
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