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お大師様のことば(三十)
大正大学名誉教授
文学博士・東京成就院長老
福田 亮成
まず、文字の意味をおさえておきましょう。「蜼螟(しょうめい)」とは蚊の眉毛に巣くうとされている極めて小さな虫のことであります。「大鵬(たいほう)」とは、おおとり、想像上の大鳥のことです。有名なお相撲さんの名として記憶にあると思います。次の「蝘蜒(えんてん)」とは、トカゲのことです。「難陀(なんだ)」とは、大きな龍のことであります。
すなわち、きわめて小さな虫は、きわめて大きな鳥を見ることができず、トカゲは大龍のうろこを知ることがありません、ということでありましょう。極小と極大との比較をとうして、私達が日常生活のなかで、“見えない”“知らない”ということの実態を痛烈に批判したものであります。さらに文は続いて、迷える人びとは、さとりの天空をつくことも、さとりの大海の底をふむこともできない、とのべております。
お大師さまは、『即身成仏義』におきまして、六大体大ということを論じておられますが、六大とは法身大日如来の体大であり、私達一人ひとりの当体でもあることは、ミクロの私達とマクロの法身大日如来が、無礙であり瑜伽である。ということにほかなりません。
さらに、心・仏・衆生の三平等観があります。心とは私自身のこと。衆生とは私以外のすべての人びと、生きとし生けるものの
私達は、マクロとミクロとの世界が瞬時に確認されなければなりません。
それにはマクロからミクロへの、ミクロからマクロへの心の振幅の修練が必要です。
六大新報 第四二五五号 掲載