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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(八)

大正大学名誉教授
文学博士・東京成就院住職
福田 亮成

 この言葉は、お大師さまが師であります恵果阿闍梨の人となりを評したものです。『付法傅』巻第二に収録されております呉慇(ごいん)という方の「大唐神都青龍寺東塔院潅頂」の国師恵果阿闍梨の行状」にも、「大師(恵果阿闍梨)はただ心を仏事に一(もっぱら)にして、意(こころ)を持生(じそう)(生活のため)に留めず。受くるところの鍚施(財施)は一銭を貯えず。すなわち曼荼羅を建立し、これが弘法利人を願う」と評しております。まず、すばらしい人格者・宗教者であったことがうかがえます。

 恵果阿闍梨は、お大師さまにとりましては潅頂の師であります。潅頂とは法身大日如来よりの法統を継承するための密教的儀式のことですが、そこには法統を受けとり、そして伝えるという行位(ぎょうい)を含むものであります。私達真言密教の教えをいただくものとして、仏教がいう成仏とか、往生とかいうもののすべてが、その潅頂の意味の中にこめられていると云っても過言ではありません。

 ですから、その潅頂の担い手である阿闍梨は、法の体現者でなければなりません。考えます。法というものは、どこかに漂っているものではなく、この世に実現・具体化するのは人格を通してであることを。もっというならば、法というものは人格を通して他の人びとに伝えられる道理でありましょう。

 お大師さまにとりまして、恵果阿闍梨の存在は、まさしく法の体現者その人だったにちがいありません。

 お大師さまの入唐の成果は、まさしくすばらしい人格を備えた恵果阿闍梨との出会いであったことにつきるということができましょう。法によって鍛えられた人格こそ、阿闍梨の条件にほかなりません。

六大新報 第四一九八号 掲載



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