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祈りの風景 祈りの風景

第二十六回 勇気 ‐ゆうき-

湯通堂 法姫

 ある寝苦しい夏の夜、夢をみた。廊下のつきあたりの部屋の重い扉を開いて中に入ると、寒々とした部屋の中央に、不釣り合いなほど居心地の良さそうな黒革のアームチェアが据えられている。暗い部屋の中で、その場所にだけ薄明るい光があたっていて、どこからともなく「明日、お前はあの椅子に座るのだ」という声が降ってくる。

 その椅子に座るということは死ぬことを意味すると既に知っている夢の中の私は、そうか、忘れていたと少し焦る。後どれくらいの猶予があるだろう。誰にも読まれたくない日記や手紙を処分する時間はあるだろうか。大切な人に別れを告げる時間は残されているだろうか。残りの時間を逆算しながら、私は追われるように扉を押し開けて部屋を出る。なぜか、部屋の隅に落ちた使用済みのマスクの青白い残像が目に焼きついた。

 あの夜の夢は、コロナ禍の産物であったかもしれない。中国の地方都市から始まった新型コロナウィルス感染症の流行は、瞬く間に世界各国に拡散し、かつてないパンデミックを引き起こした。国家ぐるみの隠蔽や情報操作、大国への忖度など、国際社会の様々な問題を孕みながら、激しい勢いで私達の日常を呑みこんでいった。

 連日の報道によって知らされる感染者数と死者数や、テレビで見慣れたタレントの死のニュースなどの影響は絶大で、生命や人生への向き合い方も含めて、生活の価値観を一変させた。年老いた親を見舞うことも、亡き友の弔いに出向くことも、被災地へのボランティアも、すべては感染防止という大前提の前で断念せざるを得なかった。

 桜の季節、青葉若葉の美しい季節を、私達は重苦しい閉塞感の中で過ごした。やがて、世界の主たる都市が次々と封鎖され、ロックダウンしていくなかで、日本は、「緊急事態宣言に基づく不要不急の外出自粛要請」という緩やかな施策で、感染爆発を封じ込めた数少ない国となった。

 新型コロナウィルス流行の発端となった中国湖北省武漢市に住む女性作家方方は、約二ヶ月半にわたる封鎖下での生活を日記という型で配信した。2月24日の日記には、  ある国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、車が疾走しているとか、(中略)お金の力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではなく、基準はただ一つ、弱者に対して国がどのような態度をとるかである。

という記述がある。ロックダウンされた町の様子を率直に描き、政府の対応や、役人、ボランティアの人々への感謝を記す一方で、身近な者達が次々と死んでゆく惨状や、日を追って疲弊してゆく医療現場の実情が鮮明に描かれた『武漢日記』は、多くの読者を獲得し、世界15ヶ国で出版されることになったという。

 強力な独裁国家の中で、統治者の在り方に問題提起を行うことは大きなリスクを伴う。政治に対する批判が許されない社会で、強い圧力を受けつつ発信を続けた作家の原動力は「哀しみと憤り」であったという。

 どんな時代、どのような国家においても、すべての生命が等しく尊ばれるべきものであることを私達は知っている。強者の論理ではなく、弱き者への同情や憐憫を共有できる社会こそ、成熟した近代文明の精華である。

 人は時として偏った正義を振りかざしたり、自分と異なる考えを持つ者を排斥したりする。SNSでの誹謗中傷や感染者への差別、「自粛警察」と呼ばれる様々な行為は、人間の心の脆弱さの現われでもある。姿なきものに対する恐怖や無知ゆえの狭小さに抗い、試練を乗り越える為には、高い見識と勇気が必要である。

 アメリカの作家ヘミングウェイの言葉に
勇気とは、窮地に陥ったときにみせる気品のことである。 という一説がある。

 マスクや防御服が不足する中で、不眠不休の医療業務に従事した人々。老人介護や福祉の現場で弱者の安全を守り続けた人々。流通や配送や販売など、社会生活の安定の為に各々の職責を果たした人々。他の国に類をみない緩やかな規制の下で、感染爆発を防ぐことができたのは、多くの無名の人々が危機に際して示した、勇気ある気高い振る舞いと利他の行いによるものである。

 コロナ禍は、私達がこれまで無意識に見過ごしてきたことを炙り出した。この世界は、想像以上に深く密接に繋がっており、自分の幸せも不幸せも、他者との関わりの中でしか語れないこと。どんなに科学が進歩しても、人間は非力で、独りでは生きられない動物であること。生命は儚く、人生には、前触れもなく終わりが訪れることがあるということを、私達は思い知らされた。

 酷暑と豪雨災害をもたらした夏が過ぎ、秋の風が吹く頃になっても、コロナ禍は未だ収束する様子はなく、世界は先行きの見えないまま彷徨っている。それでも季節は廻り、時は移ろう。私達はいつか、このウィルスへの対処法を見い出すだろう。日本は、他国に追随しない独自の姿勢で、この疫禍と闘い抜けば良い。

 小泉八雲は、日本人の美徳として、忍耐と勇敢、冷静と秩序、そして献身をあげ、「日本の国民性のうちに、利己的な個人主義が比較的少ないことは、この国の救い」であると述べている。コロナ禍の先の未来には、どんな風景が広がっているだろうか。

 2020年という年は、将来、世界の歴史に特筆される年になるに違いない。この苦難の時代を、私達がどのように生きたかは、必ず、歴史に刻まれる。いつの日か、子孫達がこの国の歴史をひもとく時、先人達は、沈着かつ冷静に疫禍に挑み、忍耐強く、勇敢に未来を切り拓いたと、誇りをもって語られるような、そんな残影を刻みたいと思う。






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