Samayaでは賛助会員を募集してい
ます。入会申込書をダウンロードし、
印刷して必要事項をご記入の上、
郵送、もしくは、FAXしてください。

入会規約はこちら (PDF: 87KB)

【PDF: 94KB】

祈りの風景 祈りの風景

第十七回 面影 -おもかげ-

湯通堂 法姫

 朝顔は別名を牽牛花けんぎゅうかという。旧暦七月七日の七夕の頃に花の盛りを迎えることや、花の形が牽牛(牛飼い)の持つ笛に似ていることが、その名の由来と言われている。
 熱帯アジアを原産とする朝顔は日本で最も発達した園芸植物であるという。平安時代初期に薬用として中国から渡来したが、花姿の美しさゆえに観賞用として日本人に愛されるようになった。江戸後期には、自然交雑の突然変異によって生まれた獅子咲き、桔梗咲きなどの変化花が、花姿の珍しさや一代限りの儚さから好事家達に珍重され、高値で取り引きされたといわれている。

 小学一年生の夏、初めて朝顔の種を植えた。夏休みの理科の学習教材として配られた栽培セットの中の数粒の種を、一晩、水に浸して吸水させ、丸い方を上に向けて湿らせた用土の中に蒔き、土をかぶせた。
 一週間ほどして種が芽生え、本葉が三、四枚ほど出たところで大きめの鉢に定植し、左へ向く習性を持つつるを、鉢の周囲に立てた支柱に巻き付かせ、行灯あんどん状に誘引してゆく。昼は陽当りの良い場所に置き、夜は照明のない暗所に置いて休ませる。蕾が出るまでは土が乾いたら水やりをし、蕾がふくらむ頃には毎朝たっぷりの水をやる。真夏には早朝だけでなく日没後も水やりをした。
 私にとって、生命あるものを育て、世話することは生まれて初めての体験であった。父は老境に入って授かった娘に殊更に過保護であった。私は虫や小動物のみならず、草木や土にも決して触れてはならないと言われて育った。夏休みの実習という建前もあって、面と向かって反対はしなかったものの、幼い娘が素手で土や肥料に触れることを父は決して快くは思っていなかった。そんな父の手前、祖母が私の朝顔の世話を手伝ってくれた。
 祖母の丹誠のおかげもあって、私の朝顔は沢山の花をつけた。ある朝、庭に出た私は驚きのあまり息をのんだ。早朝の朝もやの中で、今まさに一輪の朝顔の蕾がゆっくりを花開こうとしている瞬間であった。たっぷりの水が入った如雨露じょうろを抱えたまま、幼い私はその重さも忘れて、見事な大輪の花が開花する様子に見入ったものであった。
 夏が過ぎ、花の季節が終わる頃になると、祖母は朝顔の鉢を風通しの良い日陰に移した。肌冷たい風が吹き始める頃、朝顔は沢山の黒い小さな種子をつけた。祖母はそれを丁寧に拾い集め、懐紙に包んで箪笥の引き出しに大切に仕舞った。
 翌年の夏、その種は庭の一隅に植えられ、見事な花を咲かせた。次の年も、その次の年も、子供の関心が他のことに移ってしまった後も、祖母は毎年種を植え、その美しい花は訪れる人々の称賛をあびた。年を重ね代を経るにつれて花は小振りになり、年によっては花数の少ないこともあったが、その藍を秘めた高貴な紫の色が褪せることはなかった。

 私が一九歳になった年に祖母は他界した。中陰が過ぎ、初盆が過ぎ、秋の気配が漂い始めた日の朝、私は庭の片隅で一輪の朝顔を見つけた。祖母が亡くなったのは桜の散る季節であったから、この花は今年植えられたものでは決してない。おそらく去年の秋に採りこぼした種が地に落ち、冬を越して芽生き、私達が気付かぬ間に育って花を咲かせたに違いない。
 その時、ふいに喉の奥に熱いものがこみ上げて、私は花の前にうずくまった。祖母の死は、私にとって初めて経験する肉親の死であった。私が生まれた時から最も身近で世話をし、厳しく、また温かく見守り育ててくれた祖母に、私は日本女性の潔い生き様を学んだ。祖母はひと月あまり伏せった後、なにも語らずに逝ってしまった。なにひとつ恩に報いることもできなかった悔いは灼熱の熱さで私の心を焦がした。
 夏の間、泣くことも笑うことも忘れ、色の無い真空の空間を彷徨さまよっていた私の心が、一輪の朝顔の前で突然に息を吹き返し、感情が堰を切って溢れ出した。その時、私は生まれかわり死にかわる生命の不思議を思った。小学一年生の夏に初めて植えた朝顔の子孫がいくつもの季節を越えて、今ここに花開いている。毎年、種を植え、花を愛しみ、大切に種を拾い集めてくれた祖母はもう亡いが、花の生命が地に落ちた種によって受け継がれるように、祖母の生命も私の中に生き続けてゆくに違いないと心から思った。
 あの夏から四半世紀近い歳月が流れたが、あの日の朝顔の風雅なたたずまいは、慎ましく生きた祖母の面影おもかげとともに、夏の日の記憶の中に鮮やかに刻まれている。





≪ 一覧へ戻る

HOME | お知らせ | 活動内容 | 法人概要 | お問い合せ | お大師様のことば | 水面の月 | 祈りの風景 | イベント情報 | ブログ「SHOJIN」 | 入会申込書(PDF)