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第十七回 面影 -おもかげ-
湯通堂 法姫
朝顔は別名を
熱帯アジアを原産とする朝顔は日本で最も発達した園芸植物であるという。平安時代初期に薬用として中国から渡来したが、花姿の美しさゆえに観賞用として日本人に愛されるようになった。江戸後期には、自然交雑の突然変異によって生まれた獅子咲き、桔梗咲きなどの変化花が、花姿の珍しさや一代限りの儚さから好事家達に珍重され、高値で取り引きされたといわれている。
小学一年生の夏、初めて朝顔の種を植えた。夏休みの理科の学習教材として配られた栽培セットの中の数粒の種を、一晩、水に浸して吸水させ、丸い方を上に向けて湿らせた用土の中に蒔き、土を
一週間ほどして種が芽生え、本葉が三、四枚ほど出たところで大きめの鉢に定植し、左へ向く習性を持つ
私にとって、生命あるものを育て、世話することは生まれて初めての体験であった。父は老境に入って授かった娘に殊更に過保護であった。私は虫や小動物のみならず、草木や土にも決して触れてはならないと言われて育った。夏休みの実習という建前もあって、面と向かって反対はしなかったものの、幼い娘が素手で土や肥料に触れることを父は決して快くは思っていなかった。そんな父の手前、祖母が私の朝顔の世話を手伝ってくれた。
祖母の丹誠のおかげもあって、私の朝顔は沢山の花をつけた。ある朝、庭に出た私は驚きのあまり息をのんだ。早朝の朝もやの中で、今まさに一輪の朝顔の蕾がゆっくりを花開こうとしている瞬間であった。たっぷりの水が入った
夏が過ぎ、花の季節が終わる頃になると、祖母は朝顔の鉢を風通しの良い日陰に移した。肌冷たい風が吹き始める頃、朝顔は沢山の黒い小さな種子をつけた。祖母はそれを丁寧に拾い集め、懐紙に包んで箪笥の引き出しに大切に仕舞った。
翌年の夏、その種は庭の一隅に植えられ、見事な花を咲かせた。次の年も、その次の年も、子供の関心が他のことに移ってしまった後も、祖母は毎年種を植え、その美しい花は訪れる人々の称賛をあびた。年を重ね代を経るにつれて花は小振りになり、年によっては花数の少ないこともあったが、その藍を秘めた高貴な紫の色が褪せることはなかった。
私が一九歳になった年に祖母は他界した。中陰が過ぎ、初盆が過ぎ、秋の気配が漂い始めた日の朝、私は庭の片隅で一輪の朝顔を見つけた。祖母が亡くなったのは桜の散る季節であったから、この花は今年植えられたものでは決してない。おそらく去年の秋に採りこぼした種が地に落ち、冬を越して芽生き、私達が気付かぬ間に育って花を咲かせたに違いない。
その時、ふいに喉の奥に熱いものがこみ上げて、私は花の前に
夏の間、泣くことも笑うことも忘れ、色の無い真空の空間を
あの夏から四半世紀近い歳月が流れたが、あの日の朝顔の風雅な