諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(七十七)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
東京成就院長老
福田 亮成



 中国への密教の伝来につきましては、善無畏(六三七~七三五)と、金剛智(六七一~七四一)との二人が双璧であります。両者は共にナーランダの学僧とされ、善無畏は西域地方を通過して、七一六年に入唐され、金剛智は海路をへて七二〇年に入唐されました。
 その後、善無畏は、中国僧一行(六八三~七二七)と共に『大日経』を翻訳され、その注釈書であります『大日経䟽だいにちきょうしょ』を残されました。一方、金剛智は、不空(七〇五~七七四)という方を弟子とされ、特に『金剛頂経』系のおびただしい経軌を翻訳されました。お大師さまは、不空の弟子の恵果(けいか)(七四六~八〇五)との劇的な出会いにより、密教の付法ふほうにかかわることになりました。正面としましては、お大師さまの付法は、「金剛頂」系のそれでありまして、大日如来ー金剛薩埵ー龍猛ー龍智ー金剛智ー不空ー恵果と次第するもので、日本密教では、その七祖にお大師さまを加えて八祖と教えることになりました。
 さて、善無畏の弟子となり『大日経䟽』を完成させました一行は、四十五歳で早世してしまい、インドにおける密教の動向とあいまって、以後は「金剛頂」系密教が盛大となりました。しかし、内実におきまして、『大日経』系と『金剛頂経』系の密教の融和がはかられ、恵果のレベルでは、それがなされているのではと考えられております。実際のところ、善無畏が関わりをもった『大日経䟽』には、「金剛頂宗」という言葉も見受けられますし、二つの密教の流れを意識しつつ、それらを同時に位置づけることがなされていったにちがいありません。お大師さまの、先の言葉もそのような意図を深めることができましょう。



第四三七六号 掲載



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