諸の弟子らに語(つ)ぐ。
およそ出家修道はもと仏果を期す。
あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。

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お大師様のことば お大師様のことば

お大師様のことば(五十一)

大正大学名誉教授・種智院大学客員教授
智山専修学院長・東京成就院長老
福田 亮成



  お大師さまは、ご自身が打ち立てられました密教という立場から顕教を教相判釈し、おうの教判として『弁顕密二教論』、しゅの教判として『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』を執筆されました。掲げました文章の「言断心滅ごんだんしんめつ」とは言語道断ごんごどうだん心行処滅しんぎょうしょめつの略語であります。言葉で説くこともできず、心に推し量ることもできない、という境界こそが、法身大日如来の内証智の境界そのものだ、というのであります。この言葉で了解されるように、密教は顕教の総てを内容するものであるということです。
  私は日本の仏教史の特徴を、奈良の傅来仏教、平安の総合仏教、鎌倉の選択仏教、室町の土着仏教、近代の解放(実際はいまだに解放されていません)と考えております。お大師さまの、この言葉は総合仏教という立場を、いとも単純に述べたものであります。
  教相判釈とは、自己の立場と他の立場とは峻別するものでありますが、お大師さまがなさった峻別の方法のその具体相は、密教の優位性を強調するものでありますが、それは同時に総ての教えを各々に位置付ける包容力のあるものであったことがわかります。
  『十住心論』の第六は弥勒菩薩の三摩地門であり、それは大日如来の大慈三昧である。第七は文殊菩薩の三摩地門であり、それは大日如来を離れて別に智慧がある訳ではない。第八は観自在菩薩の三摩地門であり、それは大日如来の法曼荼羅であり。第九は普賢菩薩の三摩地門であり、これは大日如来の菩提心の一門である。というように、各々の教えを担う総ての菩薩達は、大日如来の一徳を各々に分有しているというのであります。まさに総合仏教ということにほかなりません。



六大新報 第四三〇九号 掲載



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