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祈りの風景 祈りの風景

第十九回 初御空 -はつみそら-

湯通堂 法姫

 昨年は二十年毎に行われる伊勢神宮の式年遷宮と六十年ぶりといわれる出雲大社の遷宮が重なるという、昭和二十八年以来のめでたき年であった。
 古代日本の国造りの神話は、天津神と国津神の各々の系譜の神々の物語である。天津神とは高天原から天降った神々の総称であり、伊勢神宮の祭神は高天原の主神・天照大神である。一方、出雲大社は天照大神の弟で、荒ぶるあまり姉の怒りをかって天降った素戔鳴尊の子孫であり、国津神の元締めとされる大国主大神の社である。
 遷宮とは、神社の本殿の造営や修理に際して、御神体を仮宮かりのみやに移すことである。定期的な遷宮を式年遷宮といい、かつては伊勢神宮以外にも宇佐神宮や春日大社でも行われていたといわれる。
 持統天皇四(692)年十月以来1300年の伝統を持つ伊勢神宮の式年遷宮は、今回で62回目を迎えるという。天照大神を祭る内宮と豊受大神を祭る外宮を中心に全ての別宮の社殿を隣接する清浄な敷地に造り替え、神座を遷す。同じく宝殿外幣殿や御饌殿などの殿舎や鳥居、宇治橋も造り替えられ、神々の装束や調度品などの一切が新調され、神域の空間そのものが清浄に新たまるとされている。
 遷宮の最高の神事である遷座の儀は、渋黒の夜の闇の中で松明と提灯の明かりだけを頼りに、御神体が旧正殿から新正殿へ移されるという儀式である。
 アメリカの日本文学研究の先駆者として海外に広く日本文学を紹介したドナルド・キーン(Donald Lawrence Keene)は、昨年、四度目の式年遷宮を奉拝したという。初めての体験は昭和二八年、日本が未だ戦争の傷跡を深く残している時代であった。闇の中を白い絹に覆われた目に見えぬ神が近付くにつれ、遠くから、かしわ手の音が波のごとく押し寄せ、神が離れてゆくのと共に遠ざかってゆく。共に奉拝した人々の多くは粗末な身なりであったが、誰もが敬虔に慎み深く祈りを捧げており、その厳かで真摯な光景に彼は深く感銘を受けたという。彼はこの神秘的な光景を「闇夜の軌跡」と呼び、世界に類をみない神聖な祭儀であると述べている。

 伊勢神宮の式年遷宮も出雲大社の遷宮も、その祭儀の根底には太古の人々の再生への願いがこめられている。伊勢神宮では、それを「とこわか」と呼び、出雲大社では「よみがえり」の思想という。常若とは常に新しく清らかであることを意味し、二十年毎に、建物ばかりでなく宝物、装束の一切を新ためることで、神は永遠の神聖な生命を生き継いでゆくという信仰である。蘇り思想とは、大国主神が様々な困難に出逢って生死の間を彷徨さまよいながら、幾度も生還を果たしてきたという伝説から、復活や再生の神として信仰されてきたことに由来する。本殿を改修し、神が降臨した時代を再現することで、神は新たな生命を得て蘇り、神威も倍増するといわれている。
 縁あって、昨年、一昨年と、二度にわたって出雲の地を訪れ、出雲大社に詣でる機会に恵まれた。一昨年は遷宮を待つ神が仮住居かりすまい する宮に、昨年は遷座された直後の真新しい宮に、多くの老若男女に混じって参拝した。いずれも夏の初めの頃であったが、雨上がりの空の下、雨の粒をはじき返すようにまぶしく光る檜皮ぶきの壮大な社殿は、一年前とは異なる不思議な生命力を漲らせており、再生した神の清冽な気配を感じた気がした。

正月元旦の空をはつ御空みそらという。私たちの祖先は、年の初めの清々しい空には神が居ますと信じていた。新しい歳の神は、高い山や遠い海の彼方から日の出と共に訪れる。年末に家の内外を掃き清め、旧い年の厄の一切を払い、新年の歳徳神の依り代となる松や注連飾りをして神を迎え、鏡餅や山海の珍味などの節供を供えてもてなす。今日、正月料理の代名詞となった「おせち」も、この御節供おせちくの略されたものである。
 元旦の朝、父が空に向かって合掌し読経していた光景を子供心に私はよく覚えている。父は僧侶であったが、仏教の仏ばかりでなく天照大神をはじめとする日本古来の神々も深く崇敬していた。年の初めの空に顕れる太陽には神威が宿っていると言い、天神地祇という神々の系譜を教えてくれた。それは日本という国の成り立ちに関わる天と地の神々の名でもあった。
 農耕を生業とする民にとって、自然は豊かな恵みの神であり、また時には容赦なく奪う荒ぶる神でもある。嵐や旱ばつも神のなせる業であり、王は自らの不徳を天に詫び、民は風雨順時をひたすらに祈った。それは、同じく農耕民族の中から生まれた仏教と融合して、日本人特有の自然観を生み出した。
 中世以降の日本仏教に定着した「山川草木悉有仏性」という思想は、インドで生まれた初期仏教には存在しないといわれている。大乗経典である『大般涅槃経』には「一切衆生悉有仏性」が説かれるが、これはあくまで人間に限定されたものであった。中国、朝鮮を経て伝来する過程でも、自然や植物に仏性を見出すという考え方はほとんどみられない。日本古来の信仰である神道のエッセンスを吸収した日本仏教が千四百年にわたる歴史の中で生み出した独自の思想である。
 父は幼い私に「日本は神仏の国だ」と教えた。太陽や月や大地には各々に神仏がおわして、人々に豊かな恵みを与えて下さる。山の樹々や路傍の石にも目に見えぬ神が宿っているから、決して戯れに自然を傷つけたり侮ったりしてはならないと戒められた。

 「年を重ねただけで人は老いない。理想を失った時に初めて老いる。」と謳ったのは、アメリカの詩人サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman 1840-1924)である。これは彼が八十歳の記念に自費出版した詩集『八十歳の歳月の高みにて』に収められた「青春」という詩の一節である。
 秋に葉を落とした植物が、冬の眠りから覚めて春に再び芽吹くように、神が数十年毎に社を遷して再生するように、人も年に一度、旧い年の衣を脱ぎ捨て、心に新しい衣を纏いながら歳を重ねてゆくのだろう。新しい歳の神を迎えた空を見上げながら、今年は去年より少しばかり高い理想を胸に抱いて生きてみようかと思う。





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